オレオレ詐欺
実家の母が危うくオレオレ詐欺に引っかかるところでした。
今日の午後、突然スマホに母の携帯から電話がありました。いつもは固定電話から固定電話にかけてくるので、何かあったのかと不審に思いながら出ると、「今家に警察の方が来ていて、電話をかわる」との事。なんだか要領を得ないまま警察官の方が電話にでました。
その方の説明では、「弟から電話があり、お金が必要なので家にいくらあるかと聞かれ、家に現金はないと言うと一緒に銀行に行っておろして欲しい」というような事だったらしいです。弟本人が来なければ銀行には行かないと言って、通帳と印鑑を用意して待っていたようです。
待っている間に少し冷静になり、だんだんにこれはオレオレ詐欺ではと不安になって110番したようです。警察の方にいろいろ対応していただき、しばらく様子をみてくだいましたが、犯人は現れませんでした。今後のために電話に通話録音装置を付けていただきました。その後もう一度様子を見に来てくださったようです。
私も心配なので実家に様子を見に行ってきましたが、母は疲れたものの元気でほっとしました。
普段から自分はオレオレ詐欺はひっかからないと言っていましたが、息子の一大事と慌ててしまったようです。
犯人との電話の中で「私の事を何と呼んでいる」と質問してもよく答えられなかったとかで、不信感はあったみたいですが、その時はオレオレ詐欺とまでは思わなかったみたいです。
ちょっと危なかったけれど事なきを得て、本当に良かったです。私は大丈夫と思っていますが、その過信が危険かもですね。
ミラン、2回目の月命日
昨日はミランの2回目の月命日でした。新型コロナウイルスによる自粛は解除されましたが、我が家の生活はあまり変わっていません。今の所買い物は週2回ぐらい。以前は毎日その日の食料を買いに出かけていましたが、そんなに不便ではありませんね。
買い物から帰って家に入ると、まだワンコの姿を探してしまいます。ミランもアミィも具合が悪くなってからは、真っ先に何事もないかどうか確認する癖がついていて、いまだに様子をうかがってしまうんですよね。そしてもう誰もいないんだとちょっと寂しく思います。
ミランの思い出
ミランは怖がりで、よく言えば慎重派。獣医さんの所では、中に入るのを嫌がって抵抗します。中に入るとぶるぶる震えて隙あれば逃げ出そうとするので、順番が来るまで外で待っていました。
ミラン、1回目の月命日
今日はミランの1回目の月命日です。昨年アミィが亡くなってから毎月の月命日に思い出を載せてきました。ちょうど1年、1周忌が終わった後にミランが亡くなりました。ちょうど良い区切りなので、これからはミランの1周忌までミランの思い出を載せていこうと思います。
ミランは2003年3月25日に家に来ました。もともとは認知症の父の症状緩和にと思って連れてきた子です。3月25日は上の子の卒業式で直ぐに家を出ることが決まっていました。犬がいるとは知らずに朝方帰って来た子供たちは居間でワンコを見つけてびっくりしていました。
一旦実家に連れて行きましたが、1週間ぐらいして母がやはり父の面倒を見ながら犬を飼うのは大変だという事で正式に我が家の子になりました。実家にミランが行っている間、取り返してこいとずっと言い続けていた次男。うちの子になってとても喜んでいました。名前も次男がイタリアのサッカーチームのACミランにちなんで「ミラン」と名付けられました。
こうして我が家でワンコと一緒の生活は、ミランが来て始まり、ミランが亡くなって終わりました。2年後に家の子になったアミィとともに、17年間私たちに沢山の喜びや幸せを与えてくれました。ミラン、本当にありがとうね。
ミランを火葬にしていただきました
ミランの火葬が終わりました。昨年のアミィと同じに高尾霊園にお願いしましたが、今年は新型コロナウイルス感染防止対策で個別立会火葬は中止だそうです。でも簡易立ち合いでの見送りとの事で、別室でのお別れをさせていただきました
アミィの時は化繊の物は駄目と言われたのですが、今年はいつもかけていたミフィの毛布や下の息子のお土産のサッカーのユニフォームなどを一緒に荼毘に付していただけました。
1時間ぐらいかかるとの事でしたので、待っている間に墓地の中を散策してみました。高尾山のふもとという事も有り、ずっと上の方まで続いています。時々お参りの方を見かけましたが、ほとんど人がいない中をゆっくり上っていきました。
上の方には高さ10メートルの初沢観音が霊園を見守っています。
頂上まで行ってから下に降りて駐車場に戻りました。しばらくして火葬が終わったと連絡があり火葬場まで行きました。骨を拾う事はさせてもらえませんでしたが、アミィと同じ大きさの骨壺におさめていただき家に連れて帰ってきました。
ミランが亡くなりました
令和2年4月15日、ミランが息をひきとりました。享年17歳、17年165日の生涯でした。
日曜日の夜に家に帰ってからずっと意識がない状態が続いていました。火曜日の朝電話でお医者さんにミランの様子をお話ししました。その時「薬の効果は切れているので、痙攣発作を繰り返したため脳のダメージが大きく植物状態になっている可能性がある」と言われました。でも首を持ち上げてお水を飲んでいるので、まだ大丈夫かなと期待していました。
火曜日の夕方お水を飲んだのを最後に、水を飲ませようとしてもぐったりしていて飲みません。完全に昏睡状態になっているように見えました。これは駄目かも・・・。
夜寝ている時何度も様子を伺い、寝息を確認します。ほとんど動かないときがあり起きて確認するとまだ息をしていてホッとする、これの繰り返しで一夜を過ごしました。
水曜日の昼間もずっと静かに寝ていて、特に苦しそうではありません。夫が水を含んだ綿を口に含ませます。一度飲み込んだようだと言いますが、ほとんどは口の周りを濡らすだけです。
夕方5時50分、ミランを見ると息をしていないよう!そこで亡くなったことを確認しました。ほんの2、30分前はまだ息をしていたので、息を引き取ってから何分も立っていないと思いますが、アミィの時と同じで亡くなる寸前は分かりませんでした。でも夫も私も同じ部屋にいて最期を迎え、苦しい様子もなく静かに眠るように逝けたので良かったと思っています。
ミランと一緒に暮らしだしたおかげで、アミィを迎えることができ、楽しい十何年かを過ごせました。ミラン、沢山の思い出をありがとう。一緒に暮らせてとても幸せだったよ。
上の子が社会人になって家を出た時ミランがうちの子になり、下の子が家を出た時にアミィがうちの子になりました。ずっと4人家族だったけれど、昨年3人家族になり、今年は遂に夫婦2人になってしまいました。これから寂しくなるね、と夫とはなしています。